夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^o^)

 

久しぶりにブログを書きます。

最近、ちょっとしたコンテンツを書いているのですが、なかなか迷いがあって書き進めない。

面白いコンテンツになるとは思いますよ。これだけ迷っているんだから(^_^)v

 

ゴールデンウィークは、例によって姪っ子とよく遊びました。

姪っ子は最近、「12才」という少女漫画にハマっていて、僕にも読ませようとします。

 

率直に言って、何が面白いのかが、ぜんぜん分かりません(^_^;)

僕らが12才、小学校六年生の頃には、ひたすら「アホ」でしたからねぇ。

姪っ子のお兄ちゃんが彼女くらいの頃は、「事件探偵団」なるものを結成して、秘密基地を作ってました。

僕も秘密基地に招待されましたが、なかなか「アホ」でね。僕もワクワクしました(>_<)

やっぱり、女の子はよく分かりませんねぇ。

 

連休中は、キリスト教の八木先生と禅宗の秋月先生の対談本を読んでいました。

一つは、以前紹介したこの本ですね。

 

自我と自己、エゴとセルフ、つまり自我が開かれて自己が露わになる。

このイメージ、十牛図でもそうでしたね。牛を探すというのは本当の自分を捜すことでした。

そして、「本当の自分」・・・良いとか悪いとか、そういうことを言っているのでは無くって・・・本当の自分を覆い隠している煩悩と言うんですかね。「騒がしい自我」という言葉があるんだそうですが、その騒がしい自我を剥がしていく。そこに本来の自分、自然つまり「自ら然り」とする自分が露わになってくる。それが十牛図の旅でした。

 

僕が尊敬している林竹二先生はこんな意味のことを仰っていました。

「子供といえどもドグサに汚されている。それを一つ一つ吟味し取り除いていく」

「ふつう人は、世間でこれが善だ、と言っているものを善だとする。だがそれは知識ではなくてドクサだとするのです。世間の通説というようなものを、そのとおりにこれが真実だ、というふうに思っている状態が無知であり、その思い込みをドクサと言っているわけです。その無知、ドクサから自由になることがソクラテスにおいては学問の課題だったわけです。」 

 

このイメージをよりしっかりと理解したいと思ったので、次はこんな本を読みました。

 

この本も八木先生と秋月先生の対談本になります。

読んでいて、僕がU理論のようなものに惹かれながら、アドラー心理学に違和感をおぼえているものの正体が、なんとなく見えてきたように感じました。

岸見先生の先生、なんて名前だったっけ。野田俊作先生ですね。論文をいろいろ見せていただいた時、仏教のことをずいぶんと書いて居られた。

そこに何かがあるのだろうと、そういうことで「宗教」の本を紐解き始めたわけですが、僕の感じていた違和感というのは、どうもキリスト教から離れ始めた西洋哲学への違和感だったんだろうと思います。

 

そこで「西田幾多郎」という名前がお二人の話の中に頻繁に出て来る。

教科書で習った西田幾多郎ですね。「善の研究」ですか。

「哲学の道」を散歩していた人ですね。南禅寺から銀閣寺に繋がっているあの道。

 

「善の研究」をチラッと読んではみたのですが、全く歯が立たない。(>_<)

「純粋経験」「直接経験」って言われてもね。「アハ体験」とどう違うのかよく分からない。

そこで、昔読んだ本を思い出して、八木先生と哲学者の西谷啓治先生の対談本を読んでいます。

 

これがねぇ。ムチャクチャ分かりやすい。

なぁるほど、そうかぁ!って。

 

もちろん、マルチン・ブーバーからここまで読み進めてきたからなんでしょうけどね。

そうかぁ!ここに連れてこられたかぁ!って感じています。

 

直接経験、言葉になる前の主客以前の純粋経験。

 

そういうことを考えて居ると、ミポリンの翻訳した本が僕の中に「ガン!」っと入ってきました。

 

 

 

 

 

連休明けて僕の会う人は、ちょっとだけ言うことが変わっていると思うので、要注意です。

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