夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です。

気持ちが弱っているときはアドラーは厳しい、そういうときはフランクルを読むんだという話があってね。
確かにそうかもなぁと思ったので、ちょっと書いてみます…僕はフランクルはあまり知らないんですけどね。

フランクルというと、ナチスの収容所に入っていた人ですね。
「夜と霧」、僕も大学生の時に読みました。確か、遠藤周作先生の本を読んでて、そこで知ったんだと思います。
きっと、今読むと当時と全然違う読み方が出来るんだろうなぁ。

フランクルは、ユダヤ教の素養があったんだと思うんです。。。きっと(^_^;)

創世記って有るでしょ。その中に天地創造ってある。
7日で天地を創る。最後に休んだんだっていうから、そこで完成したんだと思いがちなんだけど、そうじゃないんだってね。

最後に人を創ったのは、神様も寂しいから一緒に「創造」をしてくれるパートナーが欲しかったからなんだそうな。
だから、神様は一人一人に語りかける。。。そこに「生きる意味」というのがある。

フランクルが「意味」と言ったのは、ベースにこんな意識が有ったんだと思います。
自分には意味がある。神の創造に関わっている掛け替えのない自分。神様が自分に期待してくれている。

これはね。心が疲れているときには効くメッセージだと思います。

仏教の場合はね。創造主とか神様だとか、そういうことは言わない。
でも、そこに「縁」というものがある。

つまり、仏教の世界観では、時間は未来から立ち上がってくる。
そこで刻一刻、その一瞬を万物が力を合わせて形作っていく。

例えば、リンゴが木から落ちるとき。
リンゴは地球に引っ張られるわけだけど。地球だってリンゴに引っ張られている。
そこにいたニュートンもリンものの見方にはゴを引っ張っている。。。「万有引力」つまり万のモノには引力がある。
もし、ニュートンがそこに居なければリンゴは落ちなかったかも知れないし、落ちる場所も違っていたかも知れない。

ユダヤ教でも仏教でも、おそらくキリスト教でもね。世界の中で人はそれぞれに意味がある。

ところが、アドラーを見ると、一人一人が自分で意味を立てないといけない。
これはニーチェの「神は死んだ」という言葉に象徴される意識かもね。

アドラーがニーチェの影響を受けているのは有名な話。
力への意志、人は権力への意志を持っている。劣等感を跳ね返して強くなりたい。。。似てるよね。
アドラーにあってニーチェに無いものは共同体感覚だって、そんな話を聞いたことがあります。

神は死んだ。だから自分で「意味」を見つけないといけない。。。。これはしんどいなあ。

そう考えるとね。ユダヤ人はスゴいなあと改めて思います。

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