夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です。

ちょっと思っていることがあってね。

他人のことを、ああだこうだと決めつけて訳知り顔に話す人が居るでしょ。
そこに話し手が自分を守ろうとするキモチを感じることが多いかな。
話し手は、必ずしも話している相手のことに関心があるわけでは無くって、むしろ自分が正しいんだと言うことを一生懸命に話しているように見えます。

だから、反論しても仕方が無い。聞き流しています。

それでも自分の知り合いが話題に上ったりすると、本当に不愉快な気持ちになることがあります。
本人には悪気は無いんでしょうけどね。自分の平静を守りたいだけのことで。

「コーチはクライアントの無限の可能性を信じる」なんてことをいいます。
きれいな言葉だなとは思いますが、きれいな言葉をそのまま信じないひねくれ者の僕は、この言葉の意味をずっと考えて居ました。

今の僕の解釈を、お話ししたいと思います。

他人のことを決めつけて訳知り顔に話す人・・・相手のことをよく知っているわけでも無いのに。
それは愚かなことだと思うんだけどね。でも確かに話題になっている人にはそう感じられる何かがあるのでしょう。

確かに、それは話題になっているその人の「課題」なのかもしれません。

フロイトやユングを読んでいて感じたことなんですけどね。

何かが治ると言うこと。。。これは外面的には困った現象が消えたり、社会に適応できたり、そういうことかも知れない。
一方で、内面的には、そういう課題と「戦い」、課題を踏み台にして「成長する」ことなのだと。

アドラーでも「劣等感」を克服するということが出て来るでしょ。
どうもね。書店に並ぶアドラー書を見ていると、戦わない、割り切った、皮肉を込めて言うとクレバーな生き方を「シンプルな生き方」と称して薦めてるような気がする。だから「答え」を求める人たちが集まっているんじゃ無いかな。
それは本を売るには良いんだろうけどね。とても浅薄だと思うし、アドラーの真意では無いと僕は思います。

話を戻すと、話題になっている、決めつけられちゃった、その人ね。

決めつけられたその「属性」は、まずはスナップショットでしか無いということ。
それは、成長の踏み台なのかもしれない。可能性の種子なのかも知れない。

そう考えるとね。今悩みのある人、課題のある人、僕はあなたの無限の可能性を心から信じる。

「コーチはクライアントの無限の可能性を信じる」と言う言葉は正確では無いと僕は思います。

「コーチは全ての人の無限の可能性を信じる」このほうが、今の僕にとってはしっくりと来ます。

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