量子論では、現象は観察者から独立したものではありません。
ニュートン力学では、ボールを投げた時の奇跡は同じ条件なら何度やっても誰がやっても同じはず。
量子は観察者の意図するところを見せ、それ以外の部分を隠してしまいます。

僕らが何かを見る時、「客観的」と言う言葉が示すように、何か外からお客さんのように見ていると思っている。
だから、他の人も同じように見えているだろうと思っている。

振り返ってみると、量子論の方が実態に合ってるなあって、そう思います。

僕たちが何かを見る時、客観的に見ていると言うことは有り得ないんじゃ無いか。
見ると言う行為を通して、そこに「自分」もそこに参加しているし、「何か」も「観察者」の意図するところを見せ、それ以外の広大な部分を隠している。
そう気付いた時に、「出来るだけ大勢の人に参加してもらう」「出来るだけ多様な人に参加してもらう」ことの大切さを感じます。

「何か」を見る目が多いほど、また多様であるほど、そしてそれらの「目」が並列であるほど、見えてくるものが有るように感じます。
それはおそらく「専門家の目」とは違う。むしろ、より確かな「目」なんじゃないだろうか。

そして、「観察者」として参加する人が多いほど、そこに何か「自己組織化の力」が生まれてくるような気がしています。

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