最近、こんな本を読みました。

これは面白かったなあ。

外国人の視点、日本人の視点、そう言うところに興味が有るんです。
一つは、外国人の書いた本を読んでいて、何か違和感がある。これはどんな気持ちで言ってるんだろうみたいな。
もう一つは、僕らは日本人としてどう変わってきているんだろうって部分ですね。

最近の組織論やリーダーシップ論を見ていると、グローバル企業で文化の違う人びとが意識を合わせながらチームとして働くことの難しさみたいなことを感じることがあります。
今まではね。あまり意識せずにそういう知見に接することができたんだけれども、市場の人たちの影響かなあ、何かそんなことを思うようになりました。

「アーロン収容所」とかで、著者の会田雄次さんのお名前は知っていたのですが、この本を読んでとても興味が湧いています。

アメリカ人と日本人の考え方の違いをよく知っておく必要があるんじゃないかと思います。
僕らは日本的な感性を失いつつあるとはいえ、引きずっています。
共同体の中に包まれて「互いに察し、思いやる」ことで自己を確立する日本人と、共同体の中で「自己主張」することで自己を顕示するアメリカ人、その中間にあるヨーロッパ人という説明はとても分かりやすい。

分かりやすいのですが、ここで振り返ってみると、僕らは「アメリカ人」になるように教えられてきたんじゃないか。そしてアメリカ人になりきれていない自分を感じているんじゃないか。そんな気がするんですね。
「グローバル社会」なんて言葉を使いますが、どうもこれは「アメリカ社会」のことを言っている。

この本で、なるほどと思った言葉が「ゴーゲッター Go Getter」
「行って取ってくる人」ですね。これは分かりやすい。

広大な土地を支配すれば豊かになる。西へ西へと広げていこうとする発想はGo Getterという言葉に象徴されていると思います。
どんどん達成していく。どんどん高みを目指す。競争し、奪うことで豊かになる。確かに僕らはそう教わってきた。

アメリカ人はよく引っ越すという話は聞いたことがあるのですが、彼らは「故郷」という発想が希薄なんだというのが面白い。
彼らにとって「共同体」というのは通過点なんだそうですね。より高い「共同体」へと移る。より高い「居住地」へと移る。

日本人は、狭い国土で限られた土地を丹精込めて耕し、手間の掛かる「稲作」をして生きてきました。
緻密に計画し、水を分け合い、天候に祈り、勤勉に働いたDNAは、まだ僕たちの体に染みついているのかも知れません。

日本人には「個」が希薄だと言われますが、そうではなく欧米型の「個」ではないんだというところを押さえておかないといけない。
共同体の中に自分を広げることで成り立つ「個」。共同体の中で自分を際立たせることで成り立つ「個」。
最近の組織論を見ていると、日本的な「個」のあり方、あるいは共同体のあり方が注目されているんじゃないか。そんなことを思うようになりました。

市場を見ているとね。店主さんが「自分は三代目で」みたいなことを誇らしげに言う。この感覚がサラリーマン家庭の僕なんかにはよく分からなかった。
共同体の中で、「自分は魚屋」「自分は八百屋」自分の領分を果たしていく、そこに「個」を見つけていく誇らしさなんじゃないかなと、そんなふうに思うようになってきた。

欧米型の「個」が必要だと言われながら、「個」を出すことを恐れる、自己肯定感の低い日本人。
それは「欧米型の個」と「日本型の個」を混同して、どっち付かずになってしまっている姿なのではないか。
「欧米型の個」「日本型の個」をもっと自覚的に考えないと、日本人はますます動けなくなるんじゃないか。

自分の領分をしっかりと果たしていく。
僕もそういう在り方を考えてみたいと思います。

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