ABD(Active Book Dialogue)というのに参加しました。
流行ってますね。ABD。
一冊の本を分担して読むんですね。そして、担当した分を纏めて順番に発表します。

自分の分担したところしか分かりませんからね。意味が分からないところもでてきます。
他の人の発表を聞きながら、だんだん全体像が分かってくる。そんなところも面白かったです。

その後、ディスカッションをします。
正直なところ、読みは浅いなあと思うところもありました。
本を読んで纏める時間も限られていますし、ある程度仕方の無いところなのかもしれません。

僕自身は、自分で全部読みたいし、ゆっくり味わいながら読みたいので、分担して読むABDは食わず嫌いだったんですけどね。読むきっかけとしては良いかもしれません。速く読めますしね。

今回の題材は「自分の小さな箱から脱出する方法」いわゆる「箱の本」です。

箱の本はね。好きなんですよ。皆さんの話を聞きながらずいぶんと思い出すことが出来ました。

箱の中に居るか、箱の外に居るか。
箱の中に居るとき、相手を「もの」として見ている。
箱の外に居るとき、相手を「人」として見ている。

マルティン・ブーバーの「我と汝」では、「我と汝」「我とそれ」という言い方をしていますね。

「それ」というのは、「もの」として、機能とか属性とか、そう言う物として見ているわけです。
面白いのは、そのとき「我」も「それ」になる。評価したり、比較したりしたくなる。

相手を「もの」として見ているとき、私も「もの」になっている そこでは、与えられたミッションを上手にこなす。そうすることで自分のアイデンティティを守ろうとする。
自分以外の人の能力を低く見ようとしたり、自分の能力を高く見ようとしたりして、自分の正当化を図ろうとする。

「汝」というのは、人として「汝よ」と呼びかける。そうすると相手からも「汝よ」と呼びかけられる。
これは「人」でなくても良いわけですよ。花であっても月であってもね。
ここで「場」を共有する「我と汝」が出会う。そして「対話」が生まれる。

誰かと接するときに「人」として見ているか、「もの」として見ているか。
それは「自分のありよう」を顧みることになるのでしょう。

考えてみると、「もの」を組織化するときには、何か外部からの力が必要になります。
「もの」自体には、与えられたミッションを実行する「機能」しかありませんからね。

「場」を共有する「我と汝」には、「場」のために何かをしたいという気持ちが生まれます。
そこに自律性や自主性が生まれる。それが「自己組織化」する力だと僕は思います。

会話の中でも、僕たちはどうも0:100の関係を考えがちではないでしょうか。
100パーセント自分の問題なのか、100パーセント相手の問題なのか。
実際には、あなたも私もそこに参加しているというのが事実なんだろうと僕は思います。

その中で、自分には何が出来るのかが問われている。
そう考えると、会話ももう少し楽になるのではと思う場面があります。