最近、東洋の思想について知りたいという気持ちが有ってね。
「自己組織化するコミュニティーの作り方」だったかな。自己組織化について、学びを始めて一年になるんだけども。
参加者を見ていて何かこう違和感があって。

その講座では西洋的な視点が強かったと思うんですね。
東洋的な視点で自己組織化を考えると、僕らにわかりやすい自己組織化が語れると思うんです。

自己組織化、つまり個が自律的に秩序を見つけ組織化する。これはチームにとって大きな課題ですね。
リーダーシップ論とか組織論とか、西洋人は本にするのが上手ですから、僕らはどうしてもそういうものから学ぶことが多い。
ティール組織で描かれる「組織史」を見ていても、何か違和感がある。それはやっぱり西洋的な個の立て方からくる違和感じゃないだろうか。

鈴木大拙の本を手に取っています。

新編 東洋的な見方 (岩波文庫)
  • 鈴木 大拙
  • 価格   ¥ 1,048 prime
  • 販売者 Amazon.co.jp

まだ20ページくらいしか読んでいないのですが、びんびん心に入ってきます。

鈴木大拙先生の本は読みやすいですね。
もちろん、書いてあることも難解だし、難しい文章ではあるのですが、やはり外国人に分かるように書いているからなのでしょう。
やはり、僕らは西洋的な思考パターンを刷り込まれているなあと思いますね。もちろん、それを否定するわけではありません。大切な思考方法だと思います。

こんなことが書いてありました。

「光あれ」という心が神の胸に動き出さんとする。その刹那に触れんとするのが東洋民族の心理であるのに対して、欧米的心理は「光」が現れてからの事象に没頭するのである。

ある時、言葉について話しているとき、「言葉にすると断絶が起こるので、あえて言葉にしない」という人が居て、それがずっと心に引っ掛かっていました。
そう。「断絶」という言葉のニュアンスに違和感があったんだと、この文章を読んで気付きました。

例えば、混沌から陰と陽を分ける。そうすると「陰」と「陽」を分ける刹那に動きださんとするエネルギーに目を向けている自分を感じます。
分断が起こるからと言って分けない「混沌」は「混沌」でしかない。あるいは「陰」「陽」も同じですね。「物」を見てもそれは「物」でしか無い。これが「光が現れてからの事象」だと思うんです。

「光」と「闇」とを分けて、どちらがどうと言うことは簡単なのですが、「光と闇」を分ける刹那にあるエネルギー、「光と闇」を分け続ける、あるいは互いに焦がれる、そこに有るエネルギー、そこを僕らは見ていると感じます。

言葉を使って、ある概念を分ける。そのときに言葉によって分けられた概念の「関係性」が際立つ。分断することでそこに感じられるエネルギーを見る。

エーリッヒ・フロムは、男性と女性とが際立つとき、互いを結びつけようとするエネルギーを「愛」と呼びました。
分けた「物」だけではなく、そこに有る関係性、そこにあるエネルギーを見ることが、「自己組織化」の理解に繋がる。そこには東洋的な視点が役立つのではないかと思っています。

Share